「マネしたら会社が空中分解」社長が経営計画書をライバルに見せて平気な理由

社外秘の「経営計画書」をライバル会社に見せても構わない――。ある社長は、そう公言していました。普通なら自社の戦略を知られることは避けたいはずです。ところが、その社長は「カタチだけマネても、社長も社員も“心”が育っていなければできない」と言い切ります。経営計画書は作れば会社が変わるものではなく、毎年作り、実行し、反省する。それを10年以上続けて初めて会社の力になります。
経営の軸を守る「一生涯勉強」の意味
多くの勉強会の仲間が集い、互いに切磋琢磨し自社を繁盛させていくために、東京を中心に東部一倉会が発足し、また大阪を中心に西部一倉会、さらに九州一倉会、北海道一倉会ができました。「一倉(定)先生の教え、よく学び、よく遊び」を実践し、勉強にゴルフに研修旅行に家族ぐるみの交流が今も続いています。
また、経営計画作成合宿の同期生を中心に「ゆめ倉会」「凡倉会」「シンクタンク」「鬼倉会」ほか数えきれないほどのグループが毎期のように発足し、交流の輪は全国に広がっていきました。考えてみると大恩師に向かって「鬼」だとか「凡」だとかよく名前をつけたものです。一倉先生もまんざらではなかったようです。一倉先生はやんちゃな社長が大好きでした。
その一倉先生も1999年3月に亡くなられました。
一倉先生が亡くなってからも社長会を中心に勉強会はいろいろな形で続いていますが、毎期の計画を立てるために、毎年沖縄のムーンビーチホテルに部屋を取り「一人合宿」を張っている社長もいらっしゃいます。社長にとっての聖地、「経営計画書」の出発点です。
また、ある社長は約1週間ですが都内の大好きなホテルに缶詰めになって、電話禁止を社内に徹底し、我が社の5年後、10年後を見据え事業構想を練っています。会社がどんなに順調であっても一倉先生の教えを思い出さざるを得ない環境を自ら作ることは極めて大事です。人間は人には厳しくても、自分にはけっこう甘いものです。
一倉先生の教えを学んでから20年、30年が経ち、あらためて『一倉定の社長学全集』を読み直している社長も数多くいます。息子に1セットをプレゼントした社長、上場企業を一代で築いたK社長は、グループ企業の5人の社長全員に配って、次世代の経営のために一から勉強させています。
社長として背負っているものが大きいだけに、自社の経営の基本軸をブラさない工夫は心だけでなく形からも固めておく必要があります。
業績不振のときこそ「絶対に逃げない」
5月のある日、毎年発表会に参加していたT社の社長から電話をもらいました。「7月が発表会ですが、今期は見送りたい」旨の相談でした。ほぼ決めている様子は声のトーンから明白です。理由は「業績の低迷で……」と、歯切れが悪いのです。
即座に、「絶対やるべきだ!一番大事な行事をここでやめたら、社員は何を信じて頑張るんだ」と応じましたが、一度萎えた気持ちはなかなか戻りません。その後、何人かの友人の社長にも中止の意向を伝えようとしましたが、友人の社長全員から「厳しいときこそやらないとダメだ!」と発破をかけられ、やっと本人もその気になりました。
それまでは好調に進んでいたから自信満々でしたが、見栄も手伝って悪い決算には耐えられなかったのでしょう。結果的には前期の反省を十分に織り込んで計画書も念入りに作り込み、毎月の実行チェックも抜かりなく実施したため翌年は好決算となり、激励とともに叱ってくれた社長仲間にお礼を言うことしきりでした。
一倉先生の教えの中に、見落とされがちですが「徹底力」という言葉が出てきます。好調が続くと甘くなることは先に述べましたが、「経営計画書」を作ることで満足してしまい、実行確認が幹部も社長もおざなりになっていくのです。
事業である以上、景気動向などによってどうしても波はありますが、業績の振るわないときこそ自社を見直す機会と捉え、「全ては社長の責任」を思い出し絶対に逃げないこと、他責としないことです。二代目社長や長く続く会社の後継社長にとっては、特に大事な要件だと思っています。
「マネしたら空中分解する」の真意
継続して「経営計画書」を作り続けると、会社の質が向上するとともに、計画書にも自社独自の風格が出てきます。
一倉会の幹事を長年務めておられた会社の社長室を訪ねたとき、1冊目の「経営計画書」から今日に至るまでのファイルを見せていただいたことがあります。記念すべき1冊目は10ページあるかないかの薄いもので、手書きのコピーを綴じたものでした。4年目あたりからA4判のカチッとした冊子になり、30数冊に及ぶ会社の歴史が記されていました。
「振り返ると、あっという間の30年だなぁ~」と社長は言っておられました。ちょうど高成長が続いた時期から、バブル崩壊、金融危機、長期デフレ、地価下落と、経営環境が大きく変化した30年でした。「今日と明日のことを考えるのが精いっぱいで気がついたら65歳を過ぎていた」と謙遜されましたが、無借金経営を維持し地元では有名企業です。社員の教育も徹底していて、名社長は年齢とともに教育者になっていくことは、どの業界でも共通しているようです。
会社の質は結局、「社長の質×社員の質」かもしれません。
社外秘である「経営計画書」ですが、H社長はユニークな人で、ライバルに見せても大丈夫だと公言してはばからない猛者でした。真意を測りかねて質問したことがありますが、「同業がこれを見てマネしようとすると社内が空中分解するからね」と、一見すると不可解な答えが返ってきました。
「カタチだけマネても、社長も社員も“心”が育っていなければできないんだよ」「本物になるのには最低でも10年以上かかると思うけど」、そして「なにより社長が率先してやらないと社員はやらない。やれやれと言えば、多くの社員は辞めるから」と。
社長の人生は思った以上に短く、時間が過ぎるのも早い。強くて良い会社を育て上げるのに、そんなに時間は残されていないのです。
※本稿は作間信司著『伝説の経営コンサルタント 一倉定の社長学』(プレジデント社/2019年11月29日刊)から一部を抜粋し、再編集したものです。
文=作間信司(日本経営合理化協会専務理事/執筆時)
作間信司(さくま・しんじ)
1981年、明治大学経営学部卒業後、大手インテリア会社にて販売戦略などの実務経験を積んだ後、1983年、日本経営合理化協会入協。事業の企画・立案を担当する傍ら、会長牟田學の薫陶を受け、全国の中堅・中小企業の経営相談に携わる。以来、40年以上の豊富な指導経験からオーナー経営者との親交も非常に広く、その親身のコンサルティングに多くの社長が全幅の信頼を寄せる。メーカー・商社・小売・サービス業など、現在まで300余社を指導する気鋭のコンサルタント。
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