事業承継のリアル!インフレ世代とデフレ世代が衝突する価値観と社長の孤独

第2回
事業承継は株式や事業を引き継ぐだけでは終わりません。親子や兄弟だからこそ生まれる価値観の違い、創業者と後継者の経営哲学の衝突、そして、社長だけが背負わなければならない孤独な決断があります。高度成長期やバブルを経験した世代と、長いデフレ時代を生きてきた世代では、会社経営の常識そのものが異なります。同族企業が世代を超えて繁栄し続けるためには、何が必要でしょうか。
7泊8日の経営合宿で学んだ社長学
私がはじめて“社長の教祖”の異名を持つ一倉定先生にお会いしたのは、1979(昭和54)年です。その頃の一倉先生は東京・大阪・福岡の公開セミナー(年間8コース)と個別企業の相談指導、そして経営計画を作成する7泊8日の合宿指導を年2回という超ハードスケジュールで、まさに全国を飛び回っていました。
60歳を過ぎたあたりですから、まさに脂が乗り切った時期で、獲物を狙うような眼光の鋭さが印象的でした。
私はそのとき大学3年で経営学、会計学を専攻していました。当然ではありますが、一倉先生の講義が大学の講義とあまりにも違うことにショックを覚え、さらに社長がこれほど熱心に勉強する姿に触れ、意味もわからず感動したことだけは鮮明に記憶しています。
7泊8日の経営計画作成ゼミでは、今のようにインターネットもYouTube(ユーチューブ)もない時代ですから、本と講義と黒板、さらにパソコンもないから経営数字を一つ作るにも電卓と鉛筆で深夜、徹夜もザラの超ハードな合宿でした。
そのとき、参加していた若い社長は現在でも現役経営者として活躍していて、非常に親しくさせていただいています。私にとってかけがえのない財産となっています。それから私は15年間にわたり毎回7泊8日の一倉先生の合宿ゼミに同行し、全国の社長、それもあらゆる業界、事業の栄枯盛衰を間近で見させていただいたことも極めて貴重な体験となっています。
一倉先生とのはじめての出会いから約半世紀、技術の急速な進化、日本全体の高度成長期、そしてバブル最盛期、1990(平成2)年のバブル崩壊から、グローバル化、円高と経済環境は激変しました。今日に至るまで、低成長・デフレ、人口減少、リーマンショックなど幾多の経済環境の激変を乗り越え、事業を成長させた社長の行動とは「変転する市場に沿っての事業変革」の連続でした。
新規事業の開拓、赤字部門からの撤退、新工場への投資、M&A、人材育成、海外進出を成功させた最大要因は「徹底したお客様第一主義」と「強い財務基盤づくり」の両立であり、社長自らが自社の未来を切り拓く「長期事業構想書」「経営計画書」の作成・発表を愚直に繰り返していた成果だと確信できました。
事業承継は価値観の衝突から始まる
私自身40歳、50歳と経験を重ねるうちに、1999年に一倉先生が亡くなられた後、親交のあった社長から相談が持ち込まれることが多くなってきました。
会社によっては創業者から息子さんへ事業承継をする時期にあたり、「後継社長の相談相手になってほしい」という要請や「経営計画の作成を手伝ってほしい」「新事業の立ち上げを手伝ってくれ」「どうしても無借金経営を実現したい」など、社長のリクエストは多岐にわたりました。ときには、経営危機を乗り越えるために経営戦略を抜本的に見直すという難題の相談やコンサルティングもありましたが、資金不足の悩みほど社長を苦しめるものはないことを改めて痛感させられました。
会社が大きくなれば後継者選定の苦悩、相続問題、親子間の確執、兄弟経営など同族企業特有の相談も多くなり、人間の崇高な部分と心の闇、愛憎、人生観や使命感など、社長として、親として、人としての領域が経営にとっていかに大切かを考えさせられることが多くなりました。
深夜に電話で延々と堂々巡りの相談・愚痴が続くことも珍しくありません。先日も、10年以上一緒に勉強会を続けている50代の社長が興奮した様子で、会長との経営方針の対立で大ゲンカになった経緯をぶちまけてきました。冷静に議論すれば「オヤジはインフレ育ち、売上至上主義」VS「セガレはデフレ育ち、粗利至上主義」の戦いです。
行司としての私の軍配は明快でした。
「どちらがお客様からの信頼が厚いか」「どちらが会社を強くし、潰れにくくするか」「どちらが会社にお金を残せるか」「社員はどちらが幸せか」「どちらが時代の流れに合っているか」等です。
原理原則の多くは一倉先生に教わりましたが、残念ながら一倉先生の時代には、長いデフレ経済の環境はなく、右肩上がりの市場が基本条件でした。さらには後継社長の立場からの社長学の記述もほとんどないので、社長といえども全権を行使できない会長との対立の悩みを、一倉社長学に求めづらいのも事実です。
不易流行という言葉がありますが、同族企業の中堅・中小企業が長く繁栄していくには、親から子へ、子から孫へと伝えていくべき経営の原理原則とともに、その時代時代で社長の「捨てる」勇気と覚悟が極めて重要になることを実感しています。
自社株、事業、商品、のれんは確かに引き継げるのですが、親子、兄弟といえどもオーナー社長にしか体得し得ない実学を引き継ぐことは難しいのです。さらに、大きなお金と権力、名誉、失うことの恐怖、親族への愛憎が表裏一体で絡んでくるのが中堅・中小企業の経営であり、当事者の社長には「観念論」「一般論」が通用しない非情の世界です。
社長の決断が会社の未来を左右する
一倉先生を師と仰ぐ多くの社長が集う「一倉社長会」が発足し、異業種間の勉強会も増え、社長学の実践はもとより、家族ぐるみの交流も活発になっていきました。そんな中で、後継候補がまだ学生の頃から私自身も付き合いがあり、彼らの成長とともに事業承継の現実を20年、30年の時間軸で見てきました。
誰もが順風満帆に行くわけではありません。経営環境の好不調もある中で、後継者の悩みを聞く機会が増えてきました。そんな時期に、「一倉社長会」発足メンバーの会長、社長から一倉先生亡き後の後継世代の教育を託されました。一倉会の全国組織の会長を長年務めていただいた田中久夫氏(故人・名糖運輸元社長)の教育指導のお手伝いをしていたことも指名された理由の1つかもしれません。あれから10年以上の月日が経っています。

全国からさまざまな相談や、ときには嬉しい報告が届く毎日です。私は1983(昭和58)年に、日本経営合理化協会に入協し、協会の創業者・牟田學現会長の薫陶を受け、一倉定先生の教えを学びつつ、全国の中堅・中小企業の経営相談に携わってきました。
現在も、先代と後継社長の間に立ち、互いの悩み不満や愚痴、親子だからこそ照れくさくて言えない尊敬と感謝の念を聞き、両者の顔を立てつつ後継社長が立派に事業を引き継げるよう黒子に徹しています。
良い会社にしたいという思いは誰もが同じです。しかし、社長の一つひとつの判断は、多くの人の人生を左右します。社長の家族はもちろん、社員とその家族、取引先、お客様に対する責任までも、一人の社長が背負っています。そのため、一倉社長学が説く「正しい社長の考え方・行動」と「事業経営の原理原則」を後世に伝え続けることこそ、私の使命だと考えています。
※本稿は作間信司著『伝説の経営コンサルタント 一倉定の社長学』(プレジデント社)から一部を抜粋し、再編集したものです。
文=作間信司(日本経営合理化協会専務理事/執筆時)
作間信司(さくま・しんじ)
1981年、明治大学経営学部卒業後、大手インテリア会社にて販売戦略などの実務経験を積んだ後、1983年、日本経営合理化協会入協。事業の企画・立案を担当する傍ら、会長牟田學の薫陶を受け、全国の中堅・中小企業の経営相談に携わる。以来、40年以上の豊富な指導経験からオーナー経営者との親交も非常に広く、その親身のコンサルティングに多くの社長が全幅の信頼を寄せる。メーカー・商社・小売・サービス業など、現在まで300余社を指導する気鋭のコンサルタント。
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