社員寮・社宅が30年ぶり増加!中小企業は「住まい」で人材を囲い込めるのか

かつて「会社に縛られる象徴」とも見られ、縮小が続いてきた社員寮・社宅に復活の兆しが出ています。総務省の調査では、社宅などを含む「給与住宅」が2023年に30年ぶりに増加に転じました。伊藤忠商事は社員寮を単なる福利厚生ではなく、人材育成や社内交流の場として再構築しています。背景にあるのは家賃高騰と深刻な人手不足です。資金力で大企業に劣る中小企業も「住まい」への投資を考えるべきなのでしょうか。
伊藤忠が社員寮を復活した理由
「社員寮」と聞くと、どのようなイメージを持つでしょうか。高度成長期には、地方から若者を採用し、住む場所まで会社が用意することは珍しくありませんでした。しかし、バブル崩壊後は福利厚生費の削減や資産効率を重視する経営が広がり、社有の寮や社宅は次々と売却されました。
ところが、その流れに変化が起きています。総務省の「住宅・土地統計調査」は5年ごとに実施される大規模調査です。2023年調査では、日本の総住宅数は6504万7000戸と2018年比4.2%増え、過去最多となりました。 そのなかで注目されたのが、企業などが従業員向けに提供する社宅・寮などの「給与住宅」です。2023年には130万2000戸となり、2018年から約20万戸増加しました。1993年以降続いていた減少から、実に30年ぶりの増加です。
象徴的なのが伊藤忠商事です。同社は神奈川県横浜市にあった数百人規模の男子寮を2000年に売却しました。その後は借り上げマンションを利用していましたが、2018年に約360戸の男子寮を新設。さらに、2025年3月には川崎市に97戸の女子寮を開設しました。男女とも、新入社員は原則として寮に入り、数年間共同生活を送ります。
しかも、新しい社員寮は「安く住める場所」だけではありません。女子寮には約200平方メートルの共用空間やシェアキッチン、大テーブルなどが設けられ、居住棟へ行く際に共用スペースを通る設計になっています。社員同士の偶発的な会話を生み出すためです。利用料は光熱費込みで月1万5000円です。伊藤忠は社員寮を、福利厚生を超えた「人材育成」と「人脈形成」の基盤として位置付けています。
つまり、社員寮がコストから「人的資本への投資」に変わり始めているのです。
「住宅手当」より社宅が注目される理由
社員寮・社宅が再評価されるもう一つの背景が、住居費の負担です。特に、都市部では所得がまだ高くない若手社員にとって家賃は大きな負担です。賃上げをしても、その効果が家賃上昇によって相殺されれば、社員が実感する生活水準はなかなか上がりません。そこで企業にとって重要になるのが、「給与をいくら増やすか」だけではなく、「社員の固定費をどう減らすか」という発想です。
住居支援には大きく分けて「住宅手当」と「社宅・社員寮」があります。住宅手当は、社員が自分で住宅を選び、会社が給与に一定額を上乗せする方式です。社員の自由度が高く、企業側も制度を導入しやすいのが特徴です。一方、住宅手当は原則として給与として扱われ、所得税や社会保険料などの対象になります。
これに対して社宅は、会社が所有する住宅を貸す「社有型」だけではありません。会社が一般のマンションなどを契約して社員に提供する「借り上げ社宅」という方法もあります。この違いは中小企業にとって重要です。
「社員寮を導入する」と聞けば、土地を買い、建物を建てなければならないと思いがちです。しかし、借り上げ社宅なら巨額の初期投資は必要ありません。ただし、社宅制度には税務・社会保険上のルールがあります。会社が家賃を負担すればすべて非課税になるわけではなく、社員から徴収する家賃の設定や現物給与の取り扱いにも注意が必要です。制度設計にあたっては、税理士や社会保険労務士など専門家への確認が欠かせません。
AI時代だからこそ「社員寮」に価値がある?
では、社員寮の復活は単に物価高や家賃高騰への対策なのでしょうか。伊藤忠の事例を見ると、それだけではなさそうです。生成AIの普及によって、資料作成や情報検索など個人で完結する仕事は効率化しています。テレワークも定着し、必ずしも毎日同じオフィスに集まる必要はありません。
一方で、デジタル化が進むほど失われやすいものがあります。「雑談」「偶然の出会い」「先輩の仕事ぶりを見る」といった、マニュアル化しにくい交流です。
伊藤忠の社員寮では、部署を超えて知り合った社員同士の関係が実際の仕事にも生かされています。寮で知り合った社員を通じて別部署へ連絡しやすくなるなど、組織内のネットワーク形成につながっているといいます。さらに海外駐在経験者を招いた講演会や料理教室なども、入居者自身が企画しています。
AI時代に社員寮が復活していることは、一見すると逆行しているようにも見えます。しかし、「情報」はAIから得られても、組織への帰属意識や信頼関係までAIがつくってくれるわけではありません。社員寮は「住む場所」から、社内コミュニケーションを生み出す場へと役割を変えつつあると考えられます。
もっとも、社員寮がすべての人に歓迎されるわけではありません。若年層を中心に仕事とプライベートを分けたいという意識もあり、共働き世帯では保育園への送迎などを理由に社宅を選ばないケースもあります。JR東日本では居住率が半分に満たない社宅もあり、家族向け社宅を原則廃止する方針です。「社宅復活」がすべての企業に当てはまるわけではないのです。
中小企業は「住居支援」をどう活用すべきか
では、資金力に限りがある中小企業はどうすればいいのでしょうか。大企業のような社員寮を新築する必要はありません。むしろ重要なのは、「社宅を持つか」ではなく、「社員の住居費負担をどう軽くするか」という視点です。
選択肢は、住宅手当、借り上げ社宅、既存物件を活用した社員寮など複数あります。特に借り上げ方式なら、採用人数や社員構成に応じて戸数を調整しやすく、社有物件に比べて固定資産を抱えるリスクも抑えられます。全社員を対象にする必要もありません。
例えば、「新卒入社から3年間」「地方から採用した社員」「転勤者」「特定の事業所勤務者」など対象を絞れば、限られた予算でも制度を設計できます。採用難が深刻な地域では、給与額だけで競争するより、「月々の住居費を抑えられる会社」という訴求が採用面で差別化につながる可能性があります。
ただし、「囲い込み」を社員の私生活まで会社が管理することと捉えてはいけません。住む場所を会社に指定されることを負担に感じる社員もいます。選択制にする、一定期間だけ利用できるようにするなど、自由度を確保することも重要です。社員寮・社宅が30年ぶりに増加に転じた背景には、単なる福利厚生の復活ではなく、人手不足、家賃上昇、人材定着、社内コミュニケーションという複数の経営課題があります。
中小企業に求められているのも、豪華な社員寮を建てることではありません。給与だけでは解決しにくい「働く人の生活コスト」に会社がどこまで踏み込めるか。住居支援を採用・定着のための人的資本投資として捉え直すことが、人手不足時代の新しい福利厚生戦略になりそうです。
文=中田英明(経済ジャーナリスト)
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